2008/06/10

秋葉原事件とジャーナリスト



先日秋葉原であった通り魔事件、まずは犠牲者の方々の御冥福をお祈りしたい。これほど理不尽な最期もないだろう。若いころ足繁く通ったこともあり、全くの他人事とはとても思えない。


で、この事件だが、現場からUstreamで生映像を配信したひとがいたらしい。


no title


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後者は書かない方がよかったんじゃないかって気がするが、こういう状況に置かれたひとの反応だと思えば仕方ないかなぁ、とも思う。


で、それを踏まえた上で…


おれの感覚だと、現場にいて野次馬根性が漲ってくるのは理解できる。その点で、おれはこのひとを批判できる立ち位置ではないのだろう。でも、その場で画像を撮るのは抵抗があるし、それを配信するとなると正直いってかなり強い抑制が働くと思う。何度か交通事故の場面に遭遇したことがあるけど、画像を撮る気にすらならなかった。今回のような、ある種未曾有の事件となるとその感覚も変わるのだろうか。おれにはそうは思えないんだよね。


そもそも、おれはいわゆるマスコミによる報道ですら「現場の緊迫感を伝える映像」なんていらない、と思っている。あれに「視聴者の下世話な興味を満足させる」以外の意味がもしあるのなら教えてほしい。ましてやド素人による生配信なんて、はっきり言っていろんな地雷踏みまくってんじゃないだろうか。動画ではない画像は色んなひとが晒しているけど、これだってどうかと思うよ。


で、もしその手のソースが「視聴者の下世話な興味を満足させる」意味しか持たなかったとする。その場合、マスコミがこれを流すのはまだ理解はできる。彼らにとっちゃ飯の種であり、視聴者が求めているものを提供するのは当然だから。じゃあ、たまたま居合わせた素人が生配信する意味は?


今回やっちゃったひとにとって不幸だったのは、blogの書き込みを見る限り、本人は公衆に対して公開している意識があまりなかったように思われることだ。視聴数が予想を超えたところでどう思ったのかはわからないが…

ただ、これからこのようなケースはどんどん増えてくるのは間違いない。そのために超えなきゃいけない技術的なハードルはそう高くない。ただし、公に向けてそれをやるのなら一定の覚悟がいるのではないか。既存のマスコミが原則的に企業レベルで対応していたものを、一個人で捌く程度の覚悟は必要になるんだろう*1。個人的な感想を言えば、その覚悟のレベルは「個人の下世話な興味をみんなで共有」っつー目的(だとすれば、だが)に比べていささか高すぎるんじゃないか、と思う。




*1:それを多少なりとも緩和するのがJANJANやオマニー、なのかなぁ…まぁ、少なくとも後者には現状まるで期待できないが。





2 件のコメント:

  1. ■秋葉原殺人犯の孤独と苦痛-今日のこの事件を数十年前から予言していたドラッカー氏に学ぶ?
    http://yutakarlson.blogspot.com/2008/06/blog-post_10.html
    こんにちは。私もこの事件についてブログに掲載しました。ただし、数十年前からこうした事件が起こることを予期していた、ドラッカー氏の見解などを補足する形になりました。アメリカでは、もう随分前から、mating societyといって、彼女、彼氏のいない人に懇切丁寧に、作り方を教えてくれるNPOがあります。できたら、できたで、うまく付き合えるようにしばらくアドバイスしてくれます。このようなNPOなど日本にあれば、この犯人もこのような道には走らなかったかもしれません。ここでは長くコメントできませんので、是非私のブログをご覧になってください。

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  2. 例えていうならば、
    事故を見た時に、それを友達にはなす
    そんな感覚なのかなとおもいました。
    それか、テレビ電話をしている時に、
    事件があったから、こんなかんじだよ、って
    みせるような。

    変わったこと、変わった現場を体験したときに、
    それを人に伝えようとすること自体はよくあることだとおもうのですが、
    それと、「配信」との違いはなんだろうなーと
    このUst関連の話をみるにつけ、考えてしまいます。

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